曹洞宗の経典(修証義)

曹洞宗の葬儀は釈迦牟尼仏、達磨、道元禅師と伝わる「血脈」の中に、故人も連なることを明かにします。葬儀に用いられる経典には、『舎利礼文』『修証義』などがありますが、この『修証義』は、道元の著した『正法限蔵』の教えを、一般の人にもわかりやすく明治23年に編集されたものです。

全部で5章、31節、3704文字からなり、在家を対象とした葬儀・法要に重用されています。

経典

意訳

生とは何か、死とは何かをを明かにすることは仏教者としてもっとも大事なことである。

生死の迷いの世界に仏にあうことが出来れば迷いはない。ただ生死も悟りの世界と心得えれば、生死を厭うこともなく、又悟りを願うこともなくなる。この時はじめて生死の迷いから離れることができるのだから、もっとも大事なこととして極めるべきである。

人は輪廻を繰り返すが、人として生まれることは難しく、まして仏の教えに出会うことはまれなことである。今私たちは前世の功徳によって、こうして受けがたい人間として生まれたばかりでなく、合うことが難しい仏法にも出会うことが出来た。これはまことに輪廻における良い生まれ方であり、すぐれた生まれ方である。幸いにこのように生まれ方をしたのだから、いたずらに人生を過ごすことがあってはならない。

世界は無常で頼りないものだから、どんな死に方をするかも知れない。自分の命は自分ではどうにもならず、年月は素早く移り変わっていく。若いときの力はすぐになくなり、済んでしまったことに再び合うことは不可能である。無常の時が到れば、国王、大臣、召使いから妻子、宝に到るまで何ら助けにはならない。一人で黄泉の世界に行くだけである。

自分がそこに持っていけるものといえば、ただ自分が作った善と悪の行ないの結果だけである。この世の因果の理を知らず、この世で行なった行為の報いを明かにせず、前世と今世と来世の因果を知らず、善と悪とを区別することも知らない人々には交わってはならない。

およそ因果の道理ははっきりとして公平である。悪をなした者は地獄に落ち、善行を積んだ者は善き世界に昇ることは全く間違いのないことである。もしこの因果の法則が無効であるならば、仏が世の中に出てきた意味も、祖師の達磨が西から仏法を伝えた意味も失ってしまう。

善悪の報いの法則に三つの時がある。一つは、行為をなした報いがその生涯の間に現われる順現報受、二つは、善悪の報いが来世に来る順次生受、三つは善悪の報いが再来世あるいはそれ以後に来る順後次受である。これを善悪の報いの三時という。

佛祖の道を修め習うのも、この三時の業報の法則を明かに知るためである。そうでなければ、多くの人は誤って間違った考え方を持ってしまう。ただ間違った考えを持つばかりでなく、悪道に堕ちて長い間苦しみを受けることになることを知らなければならない。

今の人生は二度とないので、空しく人生を過ごすことがあってはならない。悪を作りながら悪ではない、その報いはないと考えて、悪の報いを理解しないようではいけないのである。