真言宗の経典(理趣経)

真言宗には多くの分派があり、葬儀次第も多少異なります。ここでは故人に戒名が授 けられた後に誦られる「理趣経」を取り上げます。この経典は、金剛菩薩の加持によって煩悩が浄化され、真実の智恵に照らされることを説いたものです。その他、光明真言、 舎利礼文、陀羅尼などが誦られます。

経典

意訳

このように私は聞いている。ある時世尊は、すぐれたすべての仏の金剛のように不壊なる不思議な力が働く真実を悟る智恵を完成し、すべての仏の仏位につく印に頂く宝冠を得て、あらゆる世界の主となった。

すべての如来のあらゆる智恵のなかの智恵である仏知が瞑想によって自在に相応することを悟り、すべての仏の印のしるしによりあらゆる存在は平等であると悟る事業をなしとげた。

つきることも余ることもない全ての世界で、心に願うところの全ての働きを完全に成就させている。過去・現在・未来のすべての時に、身体と言葉と心の働きが金剛のように堅固である。

大日如来は、欲望の世界の最上部にある他化自在天王宮にいる。それはすべての如来が思いのままにいて、その素晴らしさを賛えるところの宝珠で飾られた宮殿である。それは種々に飾られ、鈴や絹幡が風に揺れ、花輪や瑶珞は半月や満月の形で飾られている。

大日如来は八十億もの菩薩とともにいる。それらの菩薩は、金剛手菩薩摩訶薩、観自在菩薩摩訶薩、虚空蔵菩薩摩訶薩、金剛拳菩薩摩訶薩、文殊師利菩薩摩訶薩、纔発心転法論菩薩摩訶薩、虚空蔵菩薩摩訶薩、摧一切魔菩薩摩訶薩である。如来はこうした菩薩とともにおり、それらは敬いながら取り囲み、そこで彼らに真理を説きあかしている。

その教えは初めに善く、中ほどに善く、後に善く、その言葉は妙なるものがあり、混じりがなく完全で、清らかで汚れがない。あらゆる存在はそれ自体本性が清らかであるという教えを説いた。妙なる快楽は本来清らかであるという句は菩薩の立場である。欲望の矢が本来清らかであるという句は菩薩の立場である。接触が本来清らかであるという句は菩薩の立場である。