観無量寿経

浄土三部経の一つで「観経」とも呼ばれます。「観」とは見るという意味で、観無量寿とは阿弥陀仏や西方浄土を観想するところから名付けられたものです。内容は、釈尊が霊鷲山にいたときのこと、韋堤希夫人が親子の争いに巻き込まれ、そうした争いのない平和な世界に生まれるために釈尊に相談するところからはじまります。釈尊はこの経典のなかで、極楽浄土に往生するための16の観想法を説き明かしたのです。

経典

意訳

釈尊は阿難とマガダ国王の韋堤希夫人に言われました。

ここまで思い浮べが終了したら次に阿弥陀の身体の様子と光明を思い浮べなさい。

阿難よ、知るべきです。阿弥陀の身体は天空の彼方の勝れた世界、夜摩天の紫金を百千万億も集めたように輝き、その身のたけは、六十万億の千億倍にガンジス河の砂の数をかけた由旬(約120キロ)ほどの無数の高さがあり、眉間の光毫は右にうずまいて、須弥山を5つあわせたほど高大です。

仏の眼は須弥山の周囲の四つの海洋の水のように青白で濁りなく、身体の毛孔からは須弥山のように高く光明を放出し、阿弥陀の後に映える円光は、百億の全宇宙のようにひろがり、その円光の中には、百万億の千億倍にガソジス河の砂の数をかけたほどの無数の仏が、時と所に応じた仮の姿を表し、その仮に現われた仏にはまたそれぞれ無数の菩薩が、おつきの侍者となっているのです。

阿弥陀には8万4千の勝れた特徴があり、その特徴はさらに8万4千の附属的特徴があり、それぞれに8万4千の光明があるのです。その光明は十方の世界を照らし、念仏を称えるすべての人を救い、一人の例外もありません。

この阿弥陀の光明や身体の勝れた特徴や無数の仏について、詳しい説明は出来ません。

ただ心に思い浮ベ、心眼でよく思い見なさい。

この阿弥陀の勝れた特徴を思い浮べる者は、十方の仏を思い見たことになるのです。

多くの仏を思い見るこの方法を念仏三昧といいます。

この阿弥陀の特徴を思い浮べ、観法をする者は、仏の身体を思い浮べる観を行なう者と名付けられ、この観法により、また仏の心をも思い見ることが出来るのです。

仏の心とは限りない慈悲であり、平等無差別の慈悲心によって迷える人々を救われます。

この観法をした者は、その生の終りに、どの仏の前に生れても、必ず極楽浄土に往生する境地が得られます。

ですから心を静める観法を修する者は、熱心に阿弥陀をあきらかに観察しなさい。